![]() | 人生オケラ塾1999年10月号 海の法規と知識 第50回 中山隆一郎 著 |
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ビールを片手に乾杯で朝の挨拶を交わすのが、異色のヨット「オケラ」号の流儀だ。 そもそも「オケラ」という艇名からして異色のヨットとしかいいようがない。意味するところは、つまり「オケラ」なのだ。恥も外聞もなく、素性をそのまま艇名とし、実に理解しやすいものであったと私は気に入っている。 ヨットは金持ちの道楽ではない、誰しもが楽しめるスポーツなのだと自ら実証して波頭を叩きながら走るその姿は、何とも勇ましい限りだ。そして、様々な教訓を残し、過去のものとなった。
斉藤茂雄
彼の住まいはヨットだ。つまり確たる居住地というものがそもそも存在しない。 レースに参加すればレース会場が彼の住まいで、何か仕事があれば住まいごと移動するという彼のスタイルに、呆れる反面、羨ましく思える気持ちも少なからずある。
ところが、日本は欧米のように気軽に入港し、しばし滞在するという受け入れ体制はない。つまり、どこに行っても邪魔者扱いだ。
港湾管理者から退去命令が出ることもよくあることで、そのような時には馬鹿を振る舞うしかない。六法を片手に紳士的に交渉すれば勝算の見込みは皆無だ。そこで、私は文字が読めないから法規なんて判らない、係留する場所があるから係留している、自然な行為をしているつもりだが何かおかしいか?...など、杓子定規のお役人にしてみれば、「こいつらは話しにならない、つべこべいわずに何日までには出て行け」というしかない。
それでいいのだ。即刻退去からしばしの猶予期間を確保することができたからだ。
とはいっても、力学的にどうこう考える人物ではない。全ては自分の感を頼りに船を建造する。また、自身の興味というか好奇心が創作活動?を阻害する側面もあり、失敗することもよくある。
ライト兄弟ではないが、斉藤茂雄も空に対する憧れがあるようだ。
ある時、スクラップ工場からワーゲンのエンジンを調達し、このエンジンを機動力に飛行機の建造にも着手した過去がある。斉藤茂雄は航空力学を心得ているわけではなく、純粋に空を飛びたいという気持ちのみで挑戦した。
結果、数センチ浮上しただけで、失敗に終わったのだが、数センチでも飛んだという事実が、彼にとってみれば大きな満足となったに違いない。
また、艇の内部にいたっては、板の表面がむき出しのままの状態であったりすることからも、市販されている豪華ヨットの内装とはほど遠い状態である。
しかし、その凹みや内装の粗雑さが航海に支障をきたすのかといえば、否だ。
むしろ、荒海を航海する際には余計な内装設備があることにより、思うような作業ができず、それは時として致命傷になることもあるという現実主義で考えれば、斉藤作のヨットのほうが安心できると思うのは私に限ったことではあるまい。
オケラ号には電子レンジはおろか、冷暖房すらない。発電機にしたって、ホームセンターで数万円で売っている簡易製のものだ。
この達磨ストーブを艇内に取り付けると、次は天井に穴を空けはじめる。昔の風呂釜に使われていたトタン製の煙突を達磨ストーブから艇の外に出し、確実に固定したうえで、FRPで固める。
念願(悲願?)の暖房装置がはじめてオケラに備わった瞬間である。
早速、材木を拾ってきてはそれを達磨ストーブで燃やし、暖をとる。
外から見ると何ともいえない光景だ。
見た目、(大きいという一点において)豪華なヨットの天井から煙突が出ており、そこからはモクモクと煙が出ている。火災と勘違いされないかとそれだけが唯一の心配ごとだった。
豪華クルーザーでイタリア料理を食べながらワインを飲むのも確かにいいものだが、粗雑な艇内の達磨ストーブでイワシを焼いてそれをパンに挟んで食べるのも悪くはない。
そこには私たちでいうところの「優美の味」、「至上の自由」というものがある。
そもそも、ヨットというもの自体が(物質的に)陸から隔たれた存在であり、精神的にも文明から隔離されていることにより、天災、地変、紛争など現在考えられるあらゆる局面をいとも簡単に乗り超えてしまうものがここにある。
明日、突然電気がなくなっても、オケラにとっては対岸の火事。電気がなくなると何故困るのかすら判らないかも知れない。
これも一つのよき例といえるのではないだろうか。
白石鉱次郎
現在でも(自称)ヨットの冒険家として、そのチャレンジに終止符が見えてこない。
精神はオケラを継承しつつも、彼には彼なりのスタイルがあり、頑なにそれを堅持しようとする。
スタイルはオケラと対照的で、ヨットのハイテク武装だ。
彼は、かつてパソコンのBASIC(パソコンの草分け的なものでかなりマニアック)を趣味で学んでいたという彼自身の歴史をひもといて見れば理解もし易い。
白石鉱次郎が最初に試みた最年少単独無寄港世界一周というチャレンジは、ときの時代のせいもあってかオケライズムが継承され、ハイテクとはほど遠い状態での挑戦であった。
結果、成功し、世界記録者の仲間に加わった。
ところが、アナログ的な航海よりも現代的な航海を望む彼が試みたのは、まだ記憶に新しい1998年の太平洋横断最短記録への挑戦で、この挑戦は5ヶ国合同チームという組織の力もあって、彼自身に余裕もあり、ヨットのセイリングのみに専念するのではなく、衛生通信を利用してセイリング中の状況を逐一連絡し、太平洋上の音声や画像をインターネット上で流すという前代未聞の試みに着手し、太平洋横断世界記録と併せて、これも成功した。そしてヨットの歴史に確実な一石を投じ、新たな可能性を各方面が考え出したのも事実である。
どんなにデジタル武装が進んでも、超原始的な感性が求められる洋上で、これを両立させるための術を白石鉱次郎はこれからも追い続けるに違いない。
現実的に考えて、ヨットのデジタル武装は周囲を楽しませるだけで、航海の安全を保障するものではない。
そんなことは先刻承知のうえ。
白石鉱次郎自身が誰よりも一番判っているはずだ。
それでも夢を追い続ける白石鉱次郎の冒険に今後も注視したい。
多田雄幸
第1回BOCレース(単独世界一周レース)のクラス2において、日本人が優勝したことで世界的に有名となった多田雄幸だが、斉藤茂雄と共にオケラスタイルそのものの人物である。
これは笑い話しになってしまうかも知れないが、彼が優勝した同じレースで、他のクラスで優勝した勝者達は、レース後、各々の国に帰り相当の祝福を受け、それなりの資産を得た者も少なくない。人によっては最上級のサーの称号を受けた者もいるという。
そんなとき、多田雄幸は何をしていたかというと借金を返すために毎日、汗を流しながらタクシーの運転をしていた。
このことを風の便りで知った他国のレース参加者達は、驚き以上に日本という国を不可解な国だと決定的に位置づけた。
もっとも、多田雄幸自身、金銭目的のためにレースに参加した訳ではなく、それこそレース主催者から贈られた賞金も「グリコのおまけ」と言っているくらい、金には無欲なので、借金を返さなければという、自身のおかれた状況を何とも思っていなかったが、それにしてもこのままじゃ日本はいい選手が育たないと感じていたに違いない。
(上手い、下手は別として)ヨットの上でサックスを吹くこと自体、最高にお洒落だ。
また、身なりを気にしているとでもいおうか、以前、アートネイチャーのモデルになったときに作ってもらったカツラを、後生大切にし、港に入るときには必ずそれを付けていた。
ところが海は風が強く、カツラも飛ばされてしまう。そんなときに彼は、カツラが飛ばされないようにいつもロープで縛っていた。格好はヒョットコを連想して頂けると判りやすい。
そんな格好を恥ずかしみもなく表現していた多田雄幸を、周囲はいつも温かい目で見ていた。
オケライズム
言い代えるとオケラの中の常識は世間の常識とは一線を画する。
ところが、ここには日頃見失いがちになる様々な教訓がある。
そもそも金の無い者同士が集まって50フィートもの大きなヨットでクルーズする行為そのものが世間の常識では考えられない。ただし、そこには高度な航海設備は無く、海図を買う金すらないので全国道路地図で航海する始末。
艇の塗料はホームセンターで売っている屋根用塗料、ストーブはスクラップ置き場で貰った達磨ストーブ、海図は全国道路地図、設計建造は感性のみ。しかし、そこには世間には無いバイタリティと穏やかさが共存している。そして、世界の頂点にたった男を2人も創出している。
私自身は、世間で考えられる限りごく平凡な生活をしている。ところが、物事の考え方や捉え方というものにオケライズムというものを継承しているのではないかと考えることが度々ある。
オケラは確かに金がない。
それとも金を必要としてないのだろうか。
金を必要としない環境を造りだしているのか。
金が無いから苦肉の策を演じているのか。
考えられることは幾つもあるが、原点は、金が無くても出来ることは無限にあるということだ。
また、世間では「金で買えないものはない」という方がまれにおられるが、金で買えるものと買えないもの、どちらが多いかといえば、私は金で買えないもののほうが遙かに多いと思っている。
この気持ちの源泉は何だろうか。
きっと裕福だからに違いない。
勿論、金銭的に裕福なのではない。
心が裕福なのだ。
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